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執筆者の写真村山順子

2022年1月17日 あれから27年!優しい繋がりは・・今


おはようございます!

今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。


16日に日付が変わった頃、津波情報が駆け巡りました。

トンガ共和国の海底火山爆発!

トンガ共和国とは連絡が取れない状況とのこと。

その火山爆発のための津波かどうか、理由は、はっきり分からないとの事。

日本の太平洋側の広い範囲で津波が発生。

様子が分かるにつれ、世界各国で被害が・・・

自然界の脅威は計り知れない・・です。


話は変わりますが、

今日は阪神淡路大震災から27年。

1995年1月17日5時47分。

突き上げてくるような強い揺れの阪神淡路大震災。

寒い日、まだ暗い中での大地震。

多くの方々が被災しました。


お陰様で我が家は、タイルが落ち、食器が割れましたが、あまり大きな被害はありませんでした。

当時パートで勤務していた私は、阪神岩屋駅近くの仕事場にバイクで向かいました。

道路には建物が覆いかぶさり、道を塞いでいました。

公園では暖をとるために火が焚かれていました。

倒壊した木造家屋の中の人を助けるために、多くの人たちが大声で名前を呼びかけながら瓦礫を除け、助けた人を雨戸に乗せて、何人かで近くの病院に運んでいました。


その時の様子は、今も脳裏に刻まれています。

今NHKテレビで、その当時の阪神岩屋駅近くの生々しい映像を流していました。

私自身、その当時の事を、亡き夫には話しましたが、子どもたちに話した事はありませんでした。


その当時の事を少し書かせて頂きますね。

断水で、近くの中学校のプールにトイレの水を汲みに。

ご近所の1人暮らしの方の水も、夫や子どもたちが。

日頃はご挨拶程度で、あまりお付き合いのなかったお年寄りの家を訪ね、温かい食事を届けたり、話を聴かせてもらったり・・・と、誰もがごく自然に優しい交流をしていました。

やがて、その方も息子さんご一家と暮らすために転居。

みんなが優しく、周りの方の事を気遣っていました。


あれから、人の繋がりはどうなっているだろうか?

希薄に思う時もあるけれど、いざ何かあった時には、きっと誰もが助け合うと思います。

助け合えると思います!


14日(金)に「教え子のお母さんが勧めてくれた事に素直に行動しただけで、思いがけない嬉しい連鎖が・・」と書かせて頂きました。

ですが、そんな時の津波警報、阪神淡路大震災の悲惨な事を思い出す映像!

申し訳ありませんが、今日は嬉しかった事は・・申し訳なくて書けません。

また折を見て書かせて頂きます。


どこの地域にも、災害、被害がありませんようにと、願い祈ります。

今日も、お陰様で元気に朝を迎えられました事、感謝の気持ちでいっぱいです。


みなさん、笑顔溢れる一日をお過ごし下さいますよう!



村山順子

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