おはようございます!
今朝も笑顔満開、お元気で朝をお迎えでしょうか。
土曜日、神戸木鶏クラブの5月例会に出席しました。
休憩時間に85歳の先輩が、「あの癌の関本剛医師が、4月19日に45歳の若さで自宅で亡くなったそうだよ。1ヶ月位してから発表したみたい」と話され、驚きました。
神戸の阪急六甲駅の書店で、関本剛先生の書籍を見つけ即購入。
感動し、関本クリニックの場所を確認。
関本先生がこのクリニックの中で、癌患者さんに寄り添っていらっしゃるのか…と、思いを馳せた事がありました。
「余命2年と診断されても何からも逃げず、癌患者さんたちと向かいあった…」と、ある記事に書いてありました。
9歳の娘さん、6歳の息子さんに言葉を尽くして説明されたそうです。
ご著書にも書かれていましたが、医師の仕事を続けながら「最善に期待し、最悪に備える」事をされていらしたそうです。
ここからは、先輩医師(尼崎市の長尾クリニックの医師)の文章をお借りして、掲載させて頂きます。
長尾先生が関本先生に、「なぜそんなに闘えるの?」と質問をぶつけたそうです。
このように答えてくれたそうです。
「がんになって初めて、がんの患者さんの気持ちがわかったんです。
初めて相談を受ける患者さんに、〈実は、私もがんなんです〉と告げると、患者さんは心を開いて最期の希望までしっかり伝えてくれる。
患者さんとの垣根が取れたんです。
医者には〈私が治してあげますよ〉という傲慢さがどうしたってあるんです。…
だから今が一番医者として、患者さんに寄り添えて充実している気がします。…
長尾先生、医者は日々成長しないと…」と、二枚目が相好(そうごう)を崩しました。…
彼は最期まで闘ったのではない。成長していたのです。
僕はもうすぐ64歳。だけどもっと成長したい。
大人になった僕とあの世で乾杯してくれるかな。剛くん、また逢う日まで。
…と書かれていました。
先輩医師の、若くして逝かれた後輩を思う気持ち、尊敬する気持ちが伝わります。
関本先生が「自分ががんになって初めてがん患者さんとの垣根がとれた…」と、話されたこと…よくわかります。
余談ですが、実は私も、夫が急逝した時、同じ状況にある方には、その悲しみを打ち明ける事が出来ました。
今でこそグリーフケア(死別など深い悲しみに寄り添う)が普通に使われていますが、25年前、私はその言葉さえ知りませんでした。
いつ終わるかもしれない限りある命!
明日に怯えることなく、今を喜んで自分のできる事をさせて頂き、命イキイキ、弾ける笑顔で生きていきたいと思う今朝です。
今日も笑顔溢れる素敵な一日をお過ごしくださいますよう!
村山順子
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